Blog de musique seulement Yanase-Goro

FMふじやま『ふじやまワールドミュージック』柳瀬ゴローです。80’s UKやR&B、フレンチなど、好きな音楽について書いています

アラベスクのサンドラはヨーロッパの歌姫になった!

f:id:taka_fan:20180213215840j:image

サンドラと聞いて、「アラベスクにいたサンドラ?」と、返してくれたら、相当の通である。 

 

f:id:taka_fan:20180213220259j:image

サンドラ自身、あまりアラベスク時代のことに触れてほしくないようだ。でも、日本では、アラベスクを先ず語らないと、サンドラまで行き着かないのが正直なところ。

 

f:id:taka_fan:20180213220653j:image

 

アラベスクは、1977年、当時の西ドイツで結成された。 この時代、ボニーMや、シルバー・コンベーションなど、所謂「ミュンヘンディスコ」が、アメリカなど英語圏で人気を博しており、アラベスクも、英語によるディスコサウンドで欧米に打って出たのだ。

 

しかし、欧米よりも日本で人気に火が付き、”Hello Mr. monkey”はラジオでも、ダンスフロアでもお馴染みの曲となった。さらに”Friday Night”もディスコの定番となり、その人気を受け、竹の子族も積極的にアラベスクの楽曲を使用するようになった。

1979年にメンバーチェンジが生じ、サンドラが加入し、メインボーカルに起用された。

キュートなサンドラの加入により、さらに日本での人気に拍車がかかったが、本国西ドイツでは、”Marigot Bay”がヒットした以外は、なかなか人気が出ず苦戦を強いられた。

“Midnight Dancer”や、”Roller Star”、”Make Love Whenever You Can”など、サンドラがメインボーカルを務め、アラベスクの雰囲気を一変させたが、サンドラの才能が花開いたのは、後に公私に渡るパートナーとなる、ミヒャエル・クレトゥとの出会いがあったからだ。

 

f:id:taka_fan:20180213225539j:image

82年にアラベスクは活動を停止。サンドラはミヒャエル・クレトゥのプロデュースでソロデビューし、85年に”Maria Magdalena”がヨーロッパで大ヒット。さらに”In The Heat Of The Night”も大ヒットを記録した。

 

アラベスク時代のキャンディポップとはかけ離れた、アーチスティックなエレクトロサウンドと、大人の女性として成長したサンドラの容姿は、たちまちヨーロッパの人々を虜にした。

 

その後、パートナーである、ミヒャエル・クレトゥのユニット、エニグマの作品にも参加し、ヨーロッパでの人気は確実なものになったのだ。

 

現在は、ミヒャエル・クレトゥと別れ、音楽活動も控えめだが、相変わらずヨーロッパでは人気があり、特にロシアでの人気は高いのだ。

 

私は、アラベスク時代のサンドラが好きだったが、ソロになったサンドラの方が好きだ。それは多分、ミヒャエル・クレトゥのお家芸とも言える、アーチスティックなエレクトロサウンドが、サンドラを際立たせたからではないだろうか。